「朝だよ〜。起きる時間だよ〜〜」
 ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ。
「……」
「……起きてくれない……。観鈴ちんピンチ!」
 ドタドタドタドタ。
「よぉし、それじゃあこのどろり濃厚ジュースを、こっそり飲ませてみようかな?」
 どくどくどくどくどくどく……。
「んぶっ、ふぶあっ!」
 気持ち良く眠りに就いていたら突然口に奇妙な固形物が注ぎ込まれ、私は固形物を吐き出す形で起き出した。
「ちいっ! 何を、何をした観鈴!?」
「あっ、起きてくれたね。ブイッ!」
「ええいっ、訳の分からん内に勝利宣言をするなっ!」
 こちらの話を聞く素振りを見せず、勝手に勝利宣言をする観鈴。正直殴り飛ばしたい気分に駆られるが、ここで朝のうたた寝を邪魔された腹いせに少女を殴ったとあっては、末代までの恥だ。故に私は込み上げて来る怒りの念を必死で抑え、冷静さを保つことに専念した。
「まったく、今は夏休みではなかったのか? 休みならばいつまで寝ていても構わんだろうに」
 自分は基本的に学生ではない常時好きなだけ寝られる身分ではある。観鈴が普通に登校する日ならば多少時間通りに起こされるのは止むを得ないかもしれないが、今は夏休みなのだから好きなだけ寝かせてもらいたいものである。
「ダメだよ。夏休みだからってだらだらしてたら学校始まってからが大変だし、何よりいつまでも寝ているのは健康に悪いよ。やっぱり規則正しい生活を送るのがイチバンだよ!」
「規則正しい生活か……」
 旅を送るのが日常だった自分には、規則正しい生活など無縁のものだった。言うなれば不規則な生活こそが自分なりの規則正しい生活という感じに。
「致し方あるまい。朝食の準備はもう整っているのか?」
「うん。バッチリだよ」
「では規則正しく朝飯を頂くとするか」
「あっ、待って。ご飯の前にお顔を洗っておヒゲを剃らなきゃ。キチンと身支度をするのも規則正しい生活の一部だよ。にはは」
「やれやれ。洗面所で身支度をしてくるとするか」
 私は半ば諦める形で洗面所へと向かった。今までの日常では無縁のものだった規則正しい生活という概念。それを今すぐ受け入れるのは厳しいが、観鈴の家に世話になっている内は規則正しい生活を送れるよう努力しようと、私は思ったのだった。


第弐拾参話「無常なる刻の流れの中で」

「観鈴、今日もフィールドワークを行うのか?」
「うん。もちろん」
 朝食後、観鈴の今日の予定を訊ねたが、予想通りフィールドワークを行うようだ。まだ夏休みに入ったばかりだという話しだし、そんなに早く宿題を終わらせようとするのではなく、もっとのんびり終わらせても良い気もするが。
 まあ、大変なことは先送りするより早々と終わらせる方が良いという考え方もあるので、観鈴の行動が間違っているとは言えないが。
「で、どこに行くかはもう決まっているのか?」
「うん。今日は橋野高炉跡に行く予定」
「橋野高炉跡?」
「ほら。昨日の博物館でサイ太郎君とかが説明してた……」
「ああ。あの日本で最初に建設されたという洋式高炉か」
 昨日の博物館の様々な展示物でこれでもかと説明されていた日本最初の洋式高炉橋野高炉。この高炉が建設されたのは、かの八幡製鉄が建設される前である。言わば日本の重工業の黎明期を支えた偉大なる高炉という所か。橋野高炉なくして日清戦争の勝利はあり得なかった、というのは流石に言い過ぎだろうか。
「しかし、跡ということは」
「うん。高炉はとっくの昔に閉鎖されて、もう跡しか残っていないんだよ……」
 今から百年以上前の高炉だ。建設当時は最新鋭の物だったとしても、一世紀以上も経った今では例え残っていたとしても時代遅れの産物だっただろう。故に、既に解体されていたとしても不思議ではない。
「しかし、跡しかないのなら、それ程重要な意味はあるまい」
「う〜ん。確かに高炉そのものはなくなっているけど、でも本物が残っていなくても、そこにいって繁栄を極めていた時代に想いを馳せるっていうのは、何となくロマンチックだとわたしは思うな」
「ロマンチックか。分からんでもないな」
 思えば自分も平泉を訪れた際、たなびく草、流れ行く雲に目をやり、今は無き嘗ての黄金楽土に想いを馳せたものだ。観鈴は恐らくあの時の私と同じ気分を味わいたいのだろう。
「では向かうとするか。その橋野高炉跡とかいう所に」
「ねえねえ、往人さん。フィールドワーク2日めじゃ〜〜! って言ってみて」
「はっ?」
「だから、フィールドワーク2日めじゃ〜〜! って」
「……」
 分からない。観鈴の意図が読めない。一体何の理由があって、そのような小恥ずかしい台詞を言わなければならないのか?
「……。その台詞を言うのに何か大きな意味があるのか?」
「うん。大有りだよ! その台詞を言っただけで気力が10アップして必殺武器が早く使えるようになるんだよ。最近じゃMAP兵器を撃つのにも気力が必要だから、気力を上げる意味はすっごくあるんだよ」
「……」
 やはり、意図が分からない。何だ、気力が10アップとは? その台詞を言えばいつもと気合が違うとでも言うのだろうか?
「分かった分かった。とにかく言えばいいんだな?」
 このままでは会話が進みそうにもないので、私は腹を決めて件の台詞を口ずさもうとした。
「で、では言うぞ? フィ、フィールドワーク、ふ、2日めじゃ……って言えんわ、そんな台詞!!」
 駄目だ、やはり駄目だ。そのような恥ずかしい台詞、とてもではないが口には出せん。賞金百万円でも貰えれば話は別だが、何の見返りもなしに言うことは出来ない。
「仕方ないなぁ。じゃあ、わたしが言うから往人さんはわたしに合わせてお〜〜って、腕を上げて」
「分かった。それくらいのことはしてやろう」
「それじゃあ行くよ〜〜! フィールドワーク2日めじゃ〜〜!!」
「お〜〜……」
 私は観鈴に言われた通りに腕を上げた。正直全く覇気のない声だったが、一応言われた通りに言ったので問題はなかろう。
 ともかく、そんな掛け声をあげて私と観鈴は2日目のフィールドワークを開始したのだった。



「はぁはぁ……目的地はまだか!?」
 目的の場所は県道35号線を西に行った先にあるとのことだ。自転車での所要時間は2時間強とのこと。昨日でさえ自転車を連続して運転したのは1時間がいい所だ。今日は昨日以上の困難さを極めようだ。
 観鈴の家を出発し1時間程経過した辺りから、周囲の民家がまばらになって来た。比較的広い県道をひたすら西に走る。道はいつしか山道となり、周囲には鬱蒼とした森林が広がっている。
 天気は快晴。暑い太陽の日差しがこれでもかと襲い掛かる。幸いなのは周囲の森林が少なからず心理的な納涼を感じさせ、また、木々の囁いた風が私の肌を吹き抜け、照付ける日差しの暑さを少しでも和らげてくれることだ。
「往人さん。そろそろ休憩する?」
「いや、このまま一気に目的地へ向かう」
 私の背に掴まる観鈴が休憩を取ろうかと訊ねて来た。確かにもう1時間以上自転車を走らせ、多少の疲労感はある。しかし、ここで休んだら、身体中に蓄積していた汗が一気に流れ出す事態となる。それならば休まず走り、目的地へ辿り着いた時、溜まっていた汗をまとめて流したほうが良い。
「往人さん、そこの道路を下ってください」
 2時間程自転車を走らせた所、観鈴が左側に見える下り坂に入るように指示して来る。私は観鈴に言われるがままに自転車のハンドルを左に切った。
 左折した先には細い道が連なり、前方にはいくつかの民家が見受けられる。これから進む道はいかにも田舎な情景が広がっていた。
 細い田舎道を走り続け、再び左折する。その先には長い坂が待ち受けていた。観鈴曰く、この坂を登った先にようやく目的の橋野高炉跡が見えて来るとのことだ。
「はぁはぁ……。よ、ようやく着いたか……」
 青天下の道を2時間弱走り続け、ようやく目的地へと辿り着いた。私は自転車を駐車場に止めると、すぐさま自転車から降り、日陰を探し腰を下ろす。辺りは鬱蒼とした森林がどこまでも続き、川のせせらぎが絶え間なく耳に響く。木々を吹き抜ける風と川の流水が奏でる協奏曲は、確実に私の汗まみれの身体を癒してくれた。
「観鈴、水だ。水。持って来ただろう」
「うん。はい、どうぞ」
 私は観鈴から水筒を受け取ると、コップに注がず水筒に口を付け一気に流し込む。この汗と疲労に塗れた状態で飲む水は、この上なく美味い。
「しかし、喉は潤ったが、この服はどうにかならんものか」
 身体の汗は徐々に引いては来た。しかし、汗まみれな服の着心地の悪さはいつまでも残る。一昨日は自転車を走らせた後、すぐさま風呂で汗を流すことが出来たし、昨日は昨日で冷房の効いた室内で汗を乾かすことが出来た。
 しかし、今日のこの場所には昨日のように汗を乾かせる場所はない。帰ってからはまた風呂に入れるだろうが、それまでは汗まみれの服を着続けなくてはならないのだ。
 暫くこの不快感と付き合わなければならないことを考えると、気が滅入る。この汗まみれの服を着替えることでも出来たら最高なのだが、そう上手くはいかないだろう。
「にはは。心配は無用だよ、往人さん。こんなこともあろうかと、タオルと替えのTシャツを持って来てたよ」
「何っ、真かっ!? 気が利くな観鈴!」
 私は早速観鈴からタオルと替えのTシャツを受け取り、着替え始める。周囲には私達以外に人がいないので、世間体を気にすることなく大々的に着替えることが出来る。目の前に観鈴がいるが、男の私が異性に着替えを見られるのに恥じらいを感じる筈はなく、観鈴も着替えられるのが嫌なら替えのシャツなど持って来ないだろう。
 私はまず汗ばんだシャツを脱ぎ捨て、身体をタオルでくまなく拭く。続けて替えのシャツに手を掛ける。
「ぬおっ!? こ、このTシャツはっ!?」
 Tシャツを手に取った瞬間、私は一種の悪寒を感じた。観鈴が替えに持って来たTシャツは、例の赤色のTシャツだった。
(ちいっ、策士め!)
 そう私は心の中で舌打ちした。目的地に着いた私を気遣う為に替えのTシャツを持って来たのは良い。しかし、まさか替えのTシャツが例の赤色のTシャツだとは。
 この状況下で新鮮なTシャツを差し出されたのは、天から蜘蛛の糸が垂らされたに等しい。しかし、それが赤色のTシャツならば話は別だ。
 ここで赤色のTシャツを着るのは、私の敗北を意味する。ここはプライドを守り、今まで着ていたTシャツを着るか。それとも敗北を認め、大人しく赤色のTシャツに着替えるか……。



「にはは。よく似合ってるよ、往人さん」
「……」
 私は素直に敗北を認め、赤色のTシャツに着替えた。やはり、新鮮なシャツの魅力には敵わなかった。
「しかし、本当に”跡”だな……」
 観鈴と共に歩く橋野高炉跡。そこには本当に”跡”と呼べるものしかなかった。看板の説明で、辛うじて嘗ての姿を想像出来る跡の数々。この高炉は閉鎖されて百年も経っていない筈だ。なのに、そこには既に原型を留めていない瓦礫の山しかなく、まるで数千年前の遺跡群を見ているかの様な錯覚さえ起こした。
「どうです、往人さん?」
「どうと訊かれてもな」
 観鈴の問い掛けに私は口を閉ざしてしまう。既に廃墟と化し今はただ夏草がなびいているだけのこの地に、それといった感想は抱けない。
「今のこの場所は嘗ての繁栄を想像させるような物は何も残っていません。でも、確実にあったんですよね。近代釜石の礎を築いた高炉が……」
 そうだ。今は面影すら残さぬこの地は、間違いなく近代釜石の基礎を築いた偉大な地なのだ。一体全盛期のこの場所はどれだけの人が賑わっていたのだろう? どれだけの人が働き、そして釜石の、国家の繁栄を支えていたのだろう?
 ふと想像力を膨らませ、その時代へ想いを馳せようとする。しかし、当時の時代背景はおろか、名前以外知らぬ高炉の嘗ての面影など、私の浅はかな思考回路では再現し切れない。
 例え想像出来たとしても、それは空想の範疇を超えないだろう。どんなに人の話を聞き、どんなに文献を読み漁り再現性を高めようと努力しても、結局の所その時代を生きてでもいない限り完全な再現は不可能だ。
 例えば遺跡を調べ、土器を発掘し、縄文時代の生活を想像するとする。当時の社会はこうで、当時の食生活、生活体型はこう。それは史料を漁ることである程度は再現出来る。
 では、そのような環境で、当時の人はどんな気持ちで生きていたか? それを分かることは出来ない。例えば、今の自分の生活と比較して、どれだけ生活レベルの低いかと思うことは出来る。
 しかし、それは客観ですらなく、完全な主観である。何故ならば、この場合、自分の生活と比較しているからだ。この20世紀末の生活習慣を考えた場合、確かに30年程前ですら生活水準が低いと感じるだろう。
 しかし、そう思うのは、現代の生活水準を知っているからであり、比較対象となる時代を知らぬ人間には測りようがない。一見貧しく見える当時の生活水準も、その時代を生き、且つ現代を知らぬ人間にとっては当たり前過ぎて辛いとも感じないかもしれない。寧ろ、その時代から数年前を思い起こし、生活が楽になったと思うかもしれない。
 どんな人間であれ、自分の存在しない時代を詳細なまでに再現するのは叶わない。主観を捨て当時の人間に成り切ろうとしても、実際にその時代を体感していない限り、それは結局の所憶測で固められた妄想の範疇を超えない。それが人という生き物の想像力の限界だと私は思う。
「わたし、時々想像するんです。自分の知らない時代、自分の存在しなかった過去は一体どんなんだろうって。例えば恐竜さんが生きていた時代はどうだったか、橋野高炉があった時代は、釜石が空襲に遭った時はみんなどんな気持ちだったんだろうって。
 わたしは、鉄の街だった釜石の姿を殆ど知らないんですよね。自分が生まれた時にはもう、斜陽を迎えていたから。だから、思わざるを得ないんです。鉄の街だった頃の釜石はどんなんだろうって。わたしの知らない鉄の街を生きた人々は、どんな想いで日々を過ごしたんだろうって。
 でもやっぱり、自分の存在しない過去のことって、どんなに想像しても空想の域を出ないですよね。同じように、自分が存在し得ない・・・・・・未来も。結局一人の人間が詳細な記憶を紡げるのって、自分が生きた”今”だけなんですよね」
「自分が生きた”今”?」
「はい。時間は止まることなく進んで行きます。こうやって話している間にも、過去は積み重なり未来は絶え間なく訪れています。でも、それはあくまで自分を中心に考えた場合の、時間軸。世界を、歴史を想像してその中に自分を置いた時は、自分が存在している時間はあくまで”今”だと思うんです。そして、自分が存在しなかった時代が過去で、自分が存在し得ない時代が未来だと。
 そう考えると、今っていう時間は本当に瞬きする様に短い時間なんですよね。この星は自分の生きた何倍もの過去を抱え、そして何倍もの未来を積み重ねることになる……。
 それは叶わないこと、貪欲なことだって分かってるけど、それでも思わずにはいられないんですよね。自分の存在しなかった時代、そして存在し得ない時代を肌で感じてみたいって」
「観鈴、お前は……」
 それは嘗て翼人と呼ばれた者達が夢抱いたことだ。過去の時代の出来事をまるで自分が体感したことの様に記憶し、そして更なる未来をも体感しようと記憶を受け継がせる続ける。
 その星の記憶とも呼べるものを未来永劫受け継がせ続ける。それが翼人の描いた”永遠”であり、願望だった。
 しかし、星の記憶は明るいものばかりではない。辛い記憶や悲しい記憶も数え切れない程、いや、無常なるこの刻の流れの中では堪え難い記憶の方が多かったであろう。
 そして堪え難い記憶に実際翼人は堪えられなくなり、観鈴の言う”今”を捨てたのだ。自分の存在しなかった時代、存在し得ない時代を肌で感じる。それはどのような人間も一度は夢見ることだろう。しかし、それは憧れる程楽しいことではなく、心を捨てる程の苦痛を伴うものなのだ。
 分からない。もし観鈴が神奈様の魂と同化してるなら、そんなことは夢に抱かない筈だ。しかし、少なからず同化しているからこそ、想いを馳せるのかもしれない。観鈴、お前は翼人の記憶を、神奈様の想いを受け継いでいるのか……?



「観鈴、風呂だ、とにかく風呂だ。まだ風呂に入る時間だとかそんなことは関係ない。とにかく私に汗を流させろ!」
 観鈴の家に帰ると、私は有無を言わずに風呂を要求した。今日は観鈴の家を発ってから帰るまでずっと野外にいた。そして4時間以上も自転車を走らせたのだ。一度服を着替えはしたがそれでも自然に汗は蓄積し、自転車を漕いだことによる疲労は昨日と一昨日の比ではない。
 ともかく、今の私は一刻も早く風呂に入り、そして一休みしたい心境だった。
「うん、分かってるよ」
 観鈴は私の気持ちを理解してくれて、すぐさま風呂を汲んでくれた。
「ふう、やはり疲れた後の風呂は最高だな」
 毎度のことだが、汗水垂らした後入る風呂は格別だ。疲労が蓄積し、汗まみれの身体を熱い湯で一気に流させる。身体中の血行が良くなり、たったそれだけで疲れの全てが癒されたかの様な錯覚さえ起こさせる。
「さて、問題はこの後だ」
 風呂から上がり、私は一眠りしたい衝動に駆られた。しかし、時間はまだ3時を過ぎたばかり、夏の日差しはまだまだ強い。こんな暑い中ではなかなか寝就けないだろうし、第一寝ながら汗を掻きそうだ。それでは風呂に入り汗を流した意味がなくなる。
「まあ、扇風機でも回転させながら寝れば問題なかろう」
 出来るなら冷房の効いた部屋で寝たかった所だが、残念ながら橘家に冷房が配備された部屋は存在しない。せめて扇風機を効かせた居間で昼寝出来ないか観鈴に交渉しようと、私は観鈴がいるであろう居間へと向かって行った。
「往人さん、一緒にトランプして遊ぼ」
「は!?」
 居間へ行くと、開口一番観鈴がトランプで遊びたいと申し出て来た。
「私とお前が、何をするのだ?」
「トランプ」
「何故?」
「わたしが遊びたいから」
「断る」
 そう言うと私は居間の床に転がり始めた。
「遊ぼうよ、往人さん。お夕飯までまだ時間あるし、それまで往人さんもやることなく暇でしょ?」
「私はこれから一眠りしようと思っていた所だ。自転車で走り続けた疲労が、溜まりに溜まっているからな。起きた後、時間に余裕があれば遊んでやるよ」
「残念。でも疲れているなら無理強いはしないよ。お休みなさい」
「ああ、お休み。それと……」
 扇風機を使っていいか訊ねたが、観鈴は快く承諾してくれた。私は風呂上りの身体を扇風機で冷やしながら、ひと時の眠りへと入って行った。



「観鈴、観鈴。どこへ行った」
 眠りから覚めた後、約束した通り遊んでやろうと、観鈴を探した。先程から観鈴の名を叫んでいるが、反応はない。夕食の買い物にでも出掛けているのだろうか。
「! ここにいたか」
 買い物に出掛けている可能性も考えたが、もしかしたら自室に篭っているのかと思い、観鈴の部屋を覗く。すると、机で何かしらの作業に取り組んでいる観鈴の姿があった。顔は楽しそうだが、目先は作業する机の方に向かっている。先程何度も名を呼んでも反応がなかったので、余程集中しているのだろう。
「観鈴、一体何をしているのだ?」
 それ程まで何に集中しているのだろうと単純に気になり、私は観鈴に声を掛ける。
「あっ、往人さん。起きたんだね」
「ああ。それでお前は何をしているんだ」
「宿題。フィールドワークで調べたことを一応まとめてるの。他にもまだ回りたい所があるけど、少しはまとめてた方がいいかなぁって思って」
「まとめるって、これがか?」
 観鈴の手先に視線を向ける。そこにはやたら可愛らしい絵で描かれた地図らしき物があった。
「何だ、これは?」
「見て分からない? たんけん地図」
「いや。地図と言われても……」
 確かにフィールドワークで調べた地の所在を地図で表すという行為は、実地調査をまとめる手段としては正攻法な手段ではある。しかし観鈴の描いている地図は、調査をまとめた地図というよりは、子供がお遊びで描いた様な地図だった。第一なんだ? 探検地図って。
「昔NHK教育で、『たんけんぼくのまち』っていう番組が放映されてたんです。その番組ではチョーさんっていう人が自転車に乗りながら街の色んな所を調べて、そして地図にまとめてたんです。今わたしが描いてる地図は、チョーさんの描いていた”たんけん地図”のオマージュみたいなものなんです」
「その番組、好きだったのか?」
「はい、大好きでした!」
「そうか……」
 成程。だから、自転車で街の至る所を歩き、そして地図にまとめているのか。そういえば観鈴はフィールドワークを始める時、「探検わたしの街」と言っていたな。観鈴にとってこのフィールドワークは実地調査ではなく、件の番組の様に自分の街を探検することにあったのだ。
「その番組終わってもう9年経つんですよね。本当に好きだったなぁ……。色々な街を探検して、そして地図を描いて。小さい頃、憧れたな。わたしも大きくなったらチョーさんみたく色んな街を探検してみたいって……。
 ねえ、往人さん。もし往人さんがいいなら、わたしも、往人さんと一緒に旅したいな。色んな街を探検して、そして往人さんの探している人を見付ける。
 にはは。それだとわたしが往人さんの探している人じゃないってことだからちょっと残念だけど、でも往人さんと一緒に旅出来るなら、わたしはそれで構わないと思うんだ……」
「そうだな。それもいいな……」
 正直、観鈴は本当に私が捜し求めている人かもしれないし、そうでないかもしれない。だが、仮に違かったとしても、観鈴と共に旅をするのは悪くはないと思う。それは例え私が神奈様の魂と同化した人間を見付けられなかったとしても、私の人生が今以上に充実し楽しいものになるのだから。


…第弐拾参話完

※後書き

 冒頭の目覚ましネタ、分かる人には分かると思いますが、観鈴ちん目覚まし時計の台詞です(笑)。一応間接的に劇場版に関するネタなので入れてみようと思った次第です。ちなみに私は毎日この声に起こされています。
 さて、劇場版ネタだと言ったフィールドワークですが、作中で観鈴ちんに言わせてるように、「たんけんぼくのまち」ネタも絡んでおります。原作の地図を描くネタと、劇場版のフィールドワークネタを合わせれば、「たんけん地図」になると思いましたので。
 ちなみに件の番組は幼少の頃見ていたのですが、色々な街を探検して地図を描くことしか覚えていなかったので、ちょっとググッて見ました。そしたら、チョーさんこと長島雄一さんが番組中で街を探検する時自転車を使っていたということを知りました。
 いやはや、自転車で歩いていたことは全然覚えていなかったですね。お陰で、自転車でフィールドワークを行うというネタに、後付けながら膨らみをもたらすことが出来ました(笑)。

第弐拾四話へ


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